第36回文化財の保存および修復に関する国際研究集会にて発表[2012年12月6日]
Tunchira Bunyaphiphat presented her work in International Symposium on
the Conservation and Restoration of Cultural Property 2012 --Microbial
Biodeterioration of Cultural Property--
国際研究集会「文化財の微生物劣化とその対策」にて、ポスター発表を行いました。
発表者名、タイトルは次の通りです。
Bunyaphiphat Tunchira, Kenta Higashijima, and Toshiharu Enomae
First aid for flood-damaged paper using saltwater --Changes in paper properties
and desalination methods--
ポスターをダウンロードできます。
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塩竈と松島湾の古地図、岩手・大船渡から塩竈市へ寄贈[2012年8月29日]
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市の民家の敷地から1894(明治27)年の塩釜と松島湾を記した古絵地図「陸前国塩竈松嶋真景全図」が見つかり、発見した同市の紙本・書籍保存修復士金野聡子さんが28日、塩竈市の佐藤昭市長に寄贈したことが既に
朝日新聞等で報道されましたが、特定非営利活動法人ネイチャーセンターリセンがお手伝いしました。
三井物産環境基金2011年度東日本大震災復興助成に採択[2011年10月23日]
三井物産環境基金2011年度東日本大震災復興助成に採択されました。
団体名:NPO法人ネイチャーセンターリセン(東京都)
代表者:副理事長 江前 敏晴
案件名:「津波被災した紙文化財に及ぼす塩の影響と簡易脱塩技術の開発」
案件概要:木や織物、紙、写真などの有機物文化財が津波被災を受け、生物劣化=カビの対策が急がれている。我々が開発した『塩水処置法』(塩水の効用を応用した紙文化財の緊急処置法:塩濃度3.5%ではほとんどのカビの発生が抑制されることなどを明らかにした)を実行に移し、多くの紙文化財救済を図ることを目的とする。具体的には、実験研究レベルでの試験を行い結果を考察するだけではなく、被災地において紙や書籍類の修復を行っている地元の紙本修復士の協力により、ハンドリング等実際に生じうる障害を検討することも併せて行う。
助成期間:2年6ヶ月
助成金額:3,800千円
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日本写真学会で発表[2011年5月24日]
白岩洋子さん(紙本・写真修復家)が、日本写真学会の2011年度年次大会の
被災写真修復に関するプログラム(2011年5月27日)の中で、「東日本大震災 津波によって被災した写真に関する報告」を行います。
日本財団ROAD PROJECTの助成[2011年5月14日]
被災文化財レスキュー事業情報共有・研究会
「被災文化財救済の初期対応の選択肢を広げる- 生物劣化を極力抑え、かつ後の修復に備えるために」
5月10日(火) 13:30−17:00 於 東京文化財研究所 地下会議室
が開催され、江前敏晴と東嶋健太君(M2)は、「紙文書類のカビ抑制に与える塩水の効果について」

の発表を行いました(写真)。東日本大震災で津波により被災した文化財のカビの繁殖を防ぐための初期対応処置法の1つとして塩水を使う方法を提案しました。3.5%以上の塩濃度の人工海水に紙類を浸漬しておけば、ほとんどのカビの成長を抑制する効果がある実験結果を紹介するとともに、塩水法を適用する場合に対象とすべき文書や手順についての案を示しました。当日の講演では、
配布資料があり、講演後に詳しい
マニュアル(案)をまとめました。
会議室入り口のホールでは、いずれも塩水(食塩から調製)と真水それぞれに浸漬した紙、彩色したキャンバス、日本画の巻物が比較展示されました。塩水を使用した場合、しっとりした触感と柔らかさがあるものの、カビの繁殖がないこと、絵具部分の剥離が少ないこと、乾燥後の波打ちが少なくなることなど保存にとっては好ましい結果を見ることができました。最終的に残る塩が紙に悪影響を及ぼさないかどうかの検討を今後行います。
古文書文化財調査[4月23、24日]で被災状況を調査した、綾里地区千田家の襖の墨書は、宮城史料ネットのご尽力により、大林賢太郎先生(京都造形芸術大学)が5月7日に無事東北大学に移送しました。

さらに、金野聡子さんの情報提供により、新たに赤崎地区の旧家の古文書が津波と泥を被った状態になっていることがわかりました(写真)。ご当主は,瓦礫撤去に伴う自宅取り壊しのため廃棄処分も考えておられたとのことでしたが、同じく宮城史料ネットとの連携により、大林先生が千田家の襖の墨書を移送した際に、併せてこの古文書も回収して頂きました。すぐに修復作業に入るとのことです。この古文書は寛永年間1620年代からの、漁業、染色業などの地域の産業歴史資料であり、非常に貴重な記録であることが判明したとのことです。
大船渡に限らず、地域や家業の古い記録(明治期以降も含めて)などの救済を依頼したい方は

宛てにご相談ください。
書籍、印刷物、書状類の修理や製本の依頼をしたい方は

宛てにご相談ください。
日程: 2011年4月22日(金)〜24日(日)
現地依頼者:
金野聡子さん(紙本保存修復士)

参加者:
白岩洋子(紙本・写真修復)、東嶋健太、佐藤円香、江前敏晴(以上、東大関係者)、岩間美代子、宮川洋一郎、宮川皓子(以上、
ネイチャーセンターリセン)
目的: 大船渡市からの依頼で膨大な量の被災写真の修復を行う金野聡子さんの支援と綾里の千田家古文書被災状況調査
大船渡市役所で金野聡子さんと午前10時に合流し市役所の防災センターを訪ね、副センター長(総務部総

務課長)に調査届を提出し、金野さんが行っている写真修復に必要な資材を提供することと、写真修復に詳しい白岩さんに修復マニュアルを作成してもらうこと、古文書等の文化財調査を行うことが今回の活動の目的であり、併せて支援物資を提供することを説明した。市からは被害状況と復興状況の説明を受けた。文化財を担当の教育委員会事務局(生涯学習課長)とも懇談し、金野聡子さんを中心に地元の関係者で写真修復支援活動の支援要請組織を作る計画であることを説明した。
多数の犠牲者が出た特別養護老人ホーム「さんりくの園」で献花したあと、金野聡子さんのかつての勤務地である大船渡市立三陸公民館を訪ねた。自衛隊の救援隊員が撤去作業を行いながら、行政文書、図書、写真類を回収していた。壁に高く掲げられた「豊海躍動」と題する三陸地区のシンボル的な絵画も破損していたが、是非修復してどこかに飾っていただきたいものである。
総合福祉センターで写真の修復作業に入った。白岩さ

んの話では、1970年以降のRCベース印画紙の写真は汚れを落とすために水洗しても問題ないので、重油をかぶった最近の写真は、表面の重油を取り除くだけで修復が済むことも十分あるようである。古い白黒写真は表面の画像層が剥離しやすいので専門家に任せた方がよさそうである。印画紙の材質(古さ)、破損の程度、付着物(重油、汚水、泥の乾燥物など)の種類によって写真を選別し、単純作業で済むものは、ボランティアの方にどんどんお願いすればよいのではなかろうか。
副センター長(大船渡市社会福祉協議会業務課長)から津波被災時の様子をお聞かせ頂いた。センターの正

面は被災しなかったように見えるが、海に近い裏手は民家と民家の間の裏庭程度の隙間にも車4台が流されてきていた。街の裏通りにある瓦礫撤去が完了するまでには数年かかるかもしれない。
総務課、教育委員会にご理解を頂き、岩間、宮川、宮川(皓)は「大船渡市立大船渡中学校」避難所に、物資(小中学校の児童生徒用の学習ノート・大人用紙おむつ・色鉛筆・折り紙・洗濯石けんなど)を届けた。特に学習帳が不足しているというお話であった。体育館では被災者のプライバシー確保が難しく、衛生面でも課題は多いと感じた。係の方は、休日に訪問する慰問者やボランティア団体の対応で、相当お疲れの様子であった。(岩間)
江前、東嶋、佐藤は千田家の当主である
千田基久兵衞さんを訪ねた。お御堂の入り口の踏み段の上から2番目の縦の板が津波で流され、支柱を支える石が外れて手前に落ちる被害が見受けられた。内部の阿弥陀如来像は元禄15年(1702年)に当時の当主が東本願寺から持ち帰ったと言い、書状を見せていただいた。一如上人(1649〜1700年)の書と言われる「南無阿弥陀仏」と書かれた掛け軸もあった。像の右側の掛け軸は掛け紐が切れて落下したため、気仙沼の経師屋に修理に出したところ今回の地震が発生し、津波によって経師自身が建物や掛け軸と一緒に流されてしまったようだ、とのことであった。お御堂の右隣にある土蔵には、海産物の売買や海運業に関わる古文書がある。1階には未整理の古文書が入った段ボール箱があったが、そのうちの2箱は床から数cmの部分だけが浸水していた。中には本当に古文書類があるのかどうかは確認しなかった。2階にある撮影済みの古文書類は津波の被害が全くなかった。



居住空間でもある母屋の奥には色彩鮮やかな屏風と墨書を貼り付けた襖は床上40〜50cmの浸水による水染

みができていた。壁の部分にある水染みよりも墨書料紙の水染みのラインの方が高く、襖の素地部分は、はっ水性が低いせいかさらに高い位置に水染みのラインがあった。毛管現象による吸収があるため、紙への浸水は実際の浸水高さを示す壁の部分よりも高くなることがわかる。千田さんは屏風が塩水につかったままではいけないと思われたようで、水を掛けたとのことであった。幅1cm、長さ3cmほどの剥がれがあった。屏風の絵の中には、親が蚊に刺されないように、親の枕元で子供が裸になってうずくまっているという親孝行の図があった。子供の肌には蚊が描かれていたのだが、肝心の蚊を描いた絵具部分が津波で流されてしまったとのことだった。
綾里は、1896年の明治三陸地震津波で高さが最高の38.2mを記録した場所である。千田家の敷地は海に面しているが海面からは12mほどの高さにあり、元禄15年以降津波が届いた記録はないらしい。ご当主自身も津波発生当日は膝まで海水につかりながら上に逃げたとのことであった。
岩間、宮川、宮川(皓)は、総合福祉センターで写真修復作業に取り組んだ。金野さんや白岩さんと相談し、写真と動画による撮影と、ボランティアを想定した作業を分担して行った。既に乾燥した写真の保管作業も行った。津波から1カ月を過ぎ、新たに持ち込まれる写真の変色や汚れは日増しに酷くなっていたようだ。水洗、乾燥、袋詰めなどの作業は、ボランティアでも十分可能であった。台紙やビニールカバーを切る、水につけて台紙から写真を剥がすなどの作業にも幾つかの異なる工程があり、分類されていればやりやすい。(岩間)




江前らが総合福祉センターに到着し、写真修復作業の概要と千田家の文化財の様子を簡単に報告し合ってから、センターを出た。大船渡市内は桜が満開でのどかにすら感じられ、修復された写真とともに被災者を和ませてくれることを祈るばかりである。
東京に戻ってから、宮城史料ネットの平川新氏(東北大学)に電話で千田家文書の被害状況を説明した。1階の段ボールの中にあると思われる未整理の文書が被災している可能性があり、それらを修復するため、修復を無償で行ってもらえる機関を募ることにした。専門的な扱い方の知識が必要な梱包や運搬作業も含まれるが、運搬までは手が回らない可能性が高いので、運搬と修復の作業を分けてボランティアを募ることにした。関係者の方には是非協力をお願いしたいと思う。
金野さんは市からの依頼により献身的に写真修復を続けているが、彼女自身がボランティアである。修復された写真の持ち主を見つける作業も残っており、被災者の生活確保がまだ不十分で写真修復作業に入っていない陸前高田市でもそのうち同様の状況となろう。被災者の生きる糧にもなる個人文化財修復に協力してくれるボランティアがまだ大勢必要である。
【謝辞】写真修復資材のご提供を頂きました
特種紙商事株式会社に感謝します。
<執筆協力:岩間美代子、白岩洋子>